「逆境は優れたリーダーを創る」 〜ビヨンドトゥモロージャパン未来リーダーズサミットで抱いた問題意識

これまでの自分の歩みを振り返る上で、いくつかの重要なポイント・きっかけをあげるとすれば間違いなく上位3つにランクインするきっかけが、「ビヨンドトゥモロージャパン未来リーダーズサミット」での経験です。
人吉という小さな地域で生まれ育ち、限られたコミュニティで生きてきた自分にとって、大きな世界、多様な人がいることを身をもって感じた本当に大きなきっかけでした。
この経験が、高校・大学生活のなかでの一つの軸となるグローカルの活動を行う最初のきっかけとなります。
「ビヨンドトゥモロージャパン未来リーダーズサミット」が、その後のグローカルの活動の大きなきっかけになったことについては、かつて日経カレッジカフェに寄稿した記事の中でも少し触れたのですが、今回、改めて振り返ってみたいと思います。
ビヨンドトゥモロージャパン未来リーダーズサミットとは?
ビヨンドトゥモロージャパン未来リーダーズサミットとは、一般財団法人日本教育支援グローバル基金”BEYOND Tomorrow”が主催する2泊3日の合宿型のプログラムです。
主催である一般財団法人教育支援グローバル基金は、共感力のある次世代のグローバル・シティズン(地球市民)の育成をめざす、包括的な人材育成事業「ビヨンドトゥモロー」の一環として、「ジャパン未来リーダーズサミット」を開催しており、親との死別・離別や、児童養護施設で生活しているなど、様々な事情により機会を得ることが難しい状況にありながらも、広く社会のために役立つ人材となる志をもつ全国の若者を対象に、多様な領域で活躍するリーダーたちによるアドバイスの下、「若者が輝く社会」の実現に向けた提言をグループ毎にまとめ、最終日には政治・行政・ビジネス・メディア・NGOなど各方面のリーダーたちの前で発表する機会を提供しています。
ビヨンドトゥモロージャパン未来リーダーズサミット開催の目的は主に以下の4つ。
- 「若者が輝くことができる社会の実現」のための提言の作成
当事者としての視点を盛り込んだ日本社会の未来への提言を作成し、最終日の閉会式で発表する。 - 未来のリーダーとなる仲間たちとの場の構築
将来、人のため社会のために役に立つことを志す日本全国の仲間と出会い、かけがいのない関係を構築する。 - 将来のビジョンについて考える
様々な分野で活躍するリーダーやサミットで出会う仲間との対話を通し、自分の将来の姿について考える。 - 自分との対話
これまでの自分や、これからの自分を振り返り、自己との対話の中で改めて見つめ直す。
これらの目的を達成するために、全国各地数百の応募から選ばれた高校生、大学生、様々な領域でプロフェッショナルとして活躍する社会人(メンター)がチームを組み、「若者が輝く社会」の実現に向けた提言をまとめ、政治・行政・ビジネス・メディア・NGOなど各方面のリーダーたちの前で発表するというプログラムでした。
プログラムの詳細は、公式ホームページに掲載されているので、ぜひそちらを見ていただければと思います。(厳密には私が参加した翌年の情報ですが、ほぼ内容は同じです)
ビヨンドトゥモローに参加した理由
僕がビヨンドトゥモロージャパン未来リーダーズサミットに参加したきっかけは、高校2年生の時の担任の先生からの紹介でした。
当時の僕は、漠然と「世の中のためになるようなことをしたい」といった想いを抱きながらも、何をしたらいいかはわからないどころか、何をしたいのかも定まっていないような状態。
とりあえず何かしようと思って、生徒会長に立候補してみたけど「周囲とのギャップや温度差があって浮いてしまう」ような状況だったと記憶しています。
そんな状況を見かねてか、「溝口なら興味がありそう」と声をかけてくれたんでしょう。
実際、プログラムを見てみると、テレビで見たことがあるような有名人が参加するなどすごい魅力を感じ、申し込んでみることにしました。
課題作文を書いたような気がしますが、ありがたいことに数百の応募の中から選んでいただき、参加できることになりました。
親も快く送り出してくれ、初めて一人で東京に行くことになりました。交通費やプログラム期間内の宿泊費や食費などの自己負担はなく、「世の中には若者のためにお金を出してこんなことをしてくれる人がいるのか」と思ったのを覚えています。
東京で受けた3つの衝撃
2泊3日のプログラム中、チームで提言発表に向けて取り組んだり、いろんなメンターの話を聞いたりすることを通して、僕は3つの衝撃を受けました。
それは、これまで人吉では経験したことのないもので、その後の自分の行動を大きく変えるような衝撃でした。
自分とは次元の違う経験をしてる同世代
やはり同世代の高校生から受けた刺激は強烈でした。それまで高校生といえば、自分と同じように人吉で生まれ育った同じ高校の同級生くらいしか知りませんでしたが、全国各地から集まるとなれば、多様なバックグラウンドの高校生がたくさんいます。
特にビヨンドトゥモローの場合、「逆境は優れたリーダー」を創るというスローガンを掲げているだけあって、家庭環境や経済状況など様々な困難な経験をしている高校生が多くいました。
さらに何倍もの倍率をくぐり抜けて参加しているとあって、これまでの経験もさることながらそれぞれの抱える問題意識もこれまでに出会ったことがないようなものでした。
プログラム中には、「体験共有」といって「自分が生きてきた道について、これまで打ち明けることのできなかった想いについて、新しく出会った仲間たちと語り合う」という時間があります。
多くの参加者が「親との別れ」や「学校に通えない」など様々な困難を打ち明けながらも前向きに未来を語るの中で、いったい自分は何を話せばいいのか?
比較的不自由なく生活してきた自分にとっては、その場にいることが恥ずかしいような感覚でした。
それまで、自分にとっての「高校生」といえば、自分と同じように育ち、生活している同級生のような存在であり、一種のステレオタイプのようなものがありました。しかし、ビヨンドトォモローでの経験を通じて、そんな自分の世界はごく一部であったことを痛感しました。
また、高校の同級生であっても、自分が知らないだけで様々な思いや悩みを抱えている人がいるんじゃないだろうか?と思うきっかけにもなりました。
想像上の生き物だった大学生
このプログラムでは、過去にビヨンドトゥモローの活動に参加していた卒業生や大学生が、高校生のチームに割り当てられ、議論をファシリテートしたりしてくれます。
高校生にとっては、お兄さん、お姉さん的な存在です。
実は、大学がない人吉の高校生にとっては、大学生は想像上の生き物です。大学に通う兄弟がいたりすれば話は別ですが、大学生に会う機会は基本的にありません。
私もそれまで大学生と会ったり話したりする機会は、ほとんどありませんでした。
その点で、高校2年生の時に大学生と2泊3日を共にするという経験はとても貴重でした。
なぜ大学に行っているのか?大学ではどんなことをしているのか?といったことについて生の声を聞ける機会であり、留学をしたり、自分で様々な活動をしている大学生を見て、「大学生ってこんなことができるんだぁ」とか「こんな大学生がいっぱいいる環境に自分の身をおきたい」と思ったことが、東京の大学に行きたいという想いを抱いた大きな理由の一つだと思います。
何やってるかよくわからないけど凄そうな大人たち
ビヨンドトゥモローに参加してみたいと思った理由の一つが、「凄そうな大人に会ってみたい」という想いでした。
当時の自分が知ってる大人といえば、「自分の親」か「学校の先生」くらい。
家と学校を往復する毎日を送っていればそうなるのは当然かもしれません。
当然ながら、働くイメージは全然なく、なんとなく「学校の先生になるのかなぁ」みたいな漠然としたイメージを抱いていました。
ビヨンドトゥモローでは、テレビで見たことのある竹中平蔵さんをはじめとする有名人からマッキンゼーなどの一流企業で働いているようなビジネスパーソンなど、人吉では会えないような大人たちと接する機会を得ました。
当時は、「マッキンゼー?」「コンサルタント?」なにをやってるかよく分からないけど、横文字でなんかかっこいいなーくらいな感じでしたが、こんな大人になりたいなーと漠然と憧れを抱きました。
普通に人吉で高校生活を過ごしていれば、出会うはずも知ることもなかったであろう大人たちと会い、話をした経験は当時の私にとっては、革命的であり、その後の進路に大きく影響を与えたました。
この経験を同級生たちに共有したいという欲求
このように東京、そしてビヨンドトゥモローという機会を通して、これまでに知らない世界を知った私は、その経験を「人吉で過ごす同級生や同世代に共有したい」という使命感を抱きました。
理由はいくつかあります。
ひとつは、多くの応募から選ばれたことによって自分自身が経験をすることができたからこそ、それを多くの仲間たちにシェアしなければいけないという僕自身の勝手な使命感です。
おそらく僕以外にも参加したかった人はいたはずですが、その中で幸運なことに参加する機会を得ることができました。その自分が少しでもその体験をシェアすることが参加させてもらった自分が果たすべき責任だと考えました。
そして、最も大きかったのは、「機会の格差に対する反骨心」です。
素晴らしい環境で多様な人々と出会う機会を嬉しく思う一方で、「これまでなぜ気づかなかったのか」「もしこの機会を得ることができていなかったらどうなっていただろうか」「なぜ人吉をはじめとする地方の高校生の多くはこうした機会にアクセスすることができないのだろうか」といった機会の格差を痛感しました。
もちろん、結果が異なるのは当然だし、どんな選択をするかは個々人の自由です。
しかし、限られた選択肢しか知らない状態で選択することと、多くの選択肢を知っている状態で選択をすることには大きな差があると感じ、その格差に怒りました。
熊本の小さな田舎・人吉で生まれ育ったとしても、選択肢を知った上で自分なりの選択をできるような環境を作れないだろうか。
多くの選択肢を知った状態で自分なりの選択をできるようになることこそが、自分たち若い世代に必要なのではないだろうかというこの時に抱いた問題意識は、その後の高校、大学生活において、人吉球磨の高校生や若者を対象としたグローカルの活動を行う原点となりました。
そして、その想いは今も失うことはありませんし、今後も自分自身のミッションとして向き合っていきたいと思っています。